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節酒

 投稿者:亜都子  投稿日:2019年 4月24日(水)17時12分27秒
   ほんとうにめずらしく二日お酒を抜いた。このまま行けるかなとおもったら、「びわこ」誌の四月締めのハガキを書いていたらにわかにお酒が飲みたくなった。肴は野菜サラダ。
 水泳をさぼり、市販の頭痛薬で誤魔化していたけれど、ほとんど効果がなく急遽プール。テキメンに効く。
 「びわこ」誌は月刊なので、あっという間に締め切りが来る。もはや、ボケ防止に近く、出戻りのような形なので、簡単にやめられない。
 そういえば、出戻りのような形が私的にも多いな。
 向日葵の種がこぼれて、あちらこちらに芽が出て来た。友達にもあげたけれど、欲を出し、昔、白菜を売った地元の農協系の市場に話したところ、もうずいぶん前なので籍が抹消されているという。売るのはかまわないけれど、継続しないと今度は復帰できないという。特に、復帰できなくても向日葵とニンニクぐらい売って、それでおしまいでもいいとはおもうけれど。なんとなく、二度と売れないなどと言われると躊躇。二度と、川柳界に入れないとイメージしてしまうのかもしれない。不吉なのである。
 ひさしぶりにプールに行き、受付の先生に話すと欲しいという。とにかく、枯らしたり捨てたりをなるべく避けたい。
 樹木希林さんの影響をものすごく受けている。「物にも物の冥利がある」。そのとおりだとおもう。過去の恋愛相手に「あなたのどこが好きだったのでしょうか?」と本人に聞くぐらいわけがわからないという。それも同感で、二度と会いたくない人ばかり。
 希林さんの入った句を最近二句読んだ。この人ほど川柳的な人があるかなとおもう。対極に「相田みつを」がいる。「加山雄三」もかな。破綻が無い。この人たちを好きな川柳家がわからない。飛躍し、このごろの想い。別れた相手、特に男が女の悪口を言うのは論外に許せない。これがわたしの限界。
 「いろいろありましてね、お互いさまですね」あたりが無難。
 ひさしぶりのプール。ひさしぶりの雨続き。
 しまいかけた湯たんぽを出す。読書三昧。
 
 

(無題)

 投稿者:亜都子  投稿日:2019年 4月20日(土)07時06分3秒
   花粉症がひどく鼻が詰まる。薬を飲んだほうがいいか迷う。治療中の奥歯が痛む。
 事故処理はほぼ終わる。二太郎「それだけいろいろあるのはある意味でウラヤマシイ」。事故処理についてのアドバイスも聞く。考えられない処理でおどろく。時間が経つと、そういうこともありだとおもう。大胆。二太郎のほかにも、二、三意見を聞いた。固く結んだところが、時間もあるけれど、だんだんほどけてくる。友人はありがたい。そうして、ほぼ終わった。
 いただいた木の端切れをどうしようかとおもう。これはニンニクの収穫が終わってから庭の区画にいいかもしれない。
 山紫陽花を増やす。山吹の白(名前があるだろうけれど、わからない)も植える。
 山紫陽花の好きな人と知り合いになる。
 

(無題)

 投稿者:亜都子  投稿日:2019年 4月17日(水)07時26分38秒
   野菜苗を植え終わる。変わり種としては「綿花」。新しいものとしては「カボチャ」と「スイカ」。ダメもと。だいたい、野菜の苗は百円前後なので失敗がこわくない。曾野綾子は「食べるものがあることを貧乏とは言わない」と書いているので、この人に言わせたら「それはセレブとは言わないけれど、小金持ちに入るでしょう」かな。
 今日は丸太の端切れ?をいただきに行く。お礼はお雛様。ついでに旧道の山紫陽花を見て来ようとおもう。落ちていたら拾って来る。この紫陽花のファンも多い。我が家には玄関に二つ植えてある。一つは挿し木で増やした。かなりこれはむずかしい。何本か試し、一本。もう一本は台風のあと山を探検したら側溝に落ちていた。これは根も露わになっていて、簡単に移住が済んだ。
 こうして書いていると平穏元気であるようであるが、中身はそうでもない。事件があるのだ。でも、そういうことは公けにできない。
 まぁ、そんなことを洩らすと「どこでもなにかあるわよ」。それはそうだろう。
 ということで曇天。敷き藁の変わりになにか敷かなくてはいけない。庭仕事の良さは土や植物と遊べることだ。人のアラをさがす人にはうってつけ。
 

繕ってあって花柄 母のショール

 投稿者:亜都子  投稿日:2019年 4月15日(月)19時37分48秒
   誌上句会に出して、また徳永政二さんにだけ抜いていただいた。「時の川柳社」。
 つまり、句が余ることもたまにはあるわけで、で、好きな選者だと、一等賞を取れば表彰式に出る。と、その選者にご挨拶が出来る。こういう魂胆があっての、行為。で、過去、そんなことは一度もないわけで。でも、そういうことがないかぎり、遠出することは滅多にない。
 でも、徳永さんというのは、こういうことが珍しくなく、当然、ご本人は「記憶にない」のはあたりまえだけれど。没没で意気消沈していて、よく見ると自分の名前があって、たどると徳永さんだということがあるわけで・・・。
 プラス、地味だけれど、けっこう思い入れが深く、この句も今年の暑中見舞いの一句にしようかなとおもうほど。
 自句解説
 「ショール」という一昔前の言葉が末に来て、なにやらさびしげでおとなしい。今風に言うと「マフラー」とか「肩掛け」とか、もっと最近、なんとかという新しい言葉がある。
 「ショール」に似合うのは着物。
 大切に使ってきたので、すこし擦れて穴が開いてあいてしまった。思い出の品なので、簡単に捨てられない。修繕する。
 そういう行為は、母の世代ではあたり前だっとおもう。繕えば、心象的に見れば花柄になる。見えるのはツギハギでも。
 こういうことを、痛切におもうことが多い。男女共同参画などという言葉に煽られてどうするのだとおもう。
 つまり、一昔前の忍従にみえる母親たちの、地に足の着いた「幸福感」。
 あいかわらず、いそがしく、でも、午後六時頃より冷や酒を飲みながら料理をすると苦痛ではなくなる。
 ちなみに、本日の献立。「野菜サラダ」(レタス、人参、自家菜園のグリンピースとアスパラガス、レタス以外は蒸す)。「マグロセセリのやまかけ」。
 夕方、菜園の草取りをしていると大御所から電話があり。投稿句の確認だった。一杯ひっかけてなくてよかった。
 目下は、ほろ酔い。
 

花祭り

 投稿者:亜都子  投稿日:2019年 4月 9日(火)03時07分34秒
   そういえば、昨日はお釈迦さまの誕生日だったのだ。
 春の強風で、一気に桜が散ってしまった。二、三年前に庭に蠟梅を植えた。その小さな木に新芽が芽吹いている。花はまだ咲いたことがない。手前にあるのは夏椿で、これは植えた時から五、六個の花を付けた。白い花びらにギザギザがある。咲くとすぐに散る。名前がきれいなので植えた。お釈迦さまに関係のある花で、そんなこともあり、今年のおみくじの「吉」はこの木に結んだ。
 さくらんぼが今年もたくさん実をつけた。昨年ごろより実がなるようになったけれど、食べたことはない。鳥が食べるのか落ちるのか。今年は家人が網を掛けるという。特に食べたいわけでもないので、どうでもいいけれど、鳥が食べるのなら、見返りとして姿をもっと見せて欲しいとおもう。一昨年はベランダにミカンを置くとツグミが来た。昨年は同様にしても来なかった。
 犬猫は苦手だけれど、鳥は好きなので、けっこう大事な大鉢を庭に置いた。水を張り、「バードバス」である。これにも、ちっとも鳥は来ない。
 花が咲き、鳥まで来れば、わたしの「庭」になる。窓を開ければ、燕は飛びこんで来る。ちょっと騒ぎになるので、ただ鳥を見ていたいのだ。
 

みすず的みんな違ってしょうがない

 投稿者:亜都子  投稿日:2019年 4月 5日(金)20時20分48秒
   金子みすずは「みんなちがってみんないい」と謳った。山門の正面に掲げても遜色の無い名文ではあるが、川柳作家だけにちょこっといじってみたくなる。
 「みんな違ってしょうがない」このユーモア溢れるフレーズの中に、どうしようもない人間の哀しみと諦観がある。  板垣 孝志さんの、いつもの名鑑賞文です。川柳は私のです。こぼれ花が到着すると真っ先にここを見ます。いつも名文で、感嘆しますがこうして書き写すにはものぐさが邪魔をしていました。が、怪獣が去ったさびしさがきっとこのような行為に走らせたのだとおもいます。
 ちなみに、もうひとつの参加誌「びわこ」は、二、三日自分の句を読めません。「こぼれ花」は自選で「びわこ」は新作です。このあたりの分析はしていません。
 さて、タイトル句。自分で解説します。つまり、そんな「みんないい」と言えるほど人間ができていない。これにつきます。「なんだ!あいつは!あの強欲!・・・」
 で、本日です。ある人に「自分の性格になにか問題があったとおもわない?」と聞かれたのです。が、しばらくかんがえてもわかりませんでした。・・・しょうがないよね、わからないものはなおしよいうがない。
 で、板垣孝志さんにもどります。エッセイで台所洗剤の害について書いていらっしゃいます。大笑いしたので、ここに転載したいけれど、そこまでの根気はありません。やっぱり糠で洗ったらいいのだとおもいました。川柳「こぼれ花」と検索すると近日中に載るとおもいます。わたしは一度、奈良在住のこの板垣さんに女友達とサインをいただきに行ったことがあります。エッセイは東海林さだおが好きだということで、「なるほど」とおもいました。
 ほんとうに、みんな自分の小宇宙の中に居て、やっぱり、人のこころははかりがたいので、きっとそんなことは無駄なことなのですが。そうすると、文学などは生まれようがないということにおそらくなります。
 「測る」→「おもんばかる」ですか。
 怪獣が居ないので長文になってしまいました。
 

どうころぶ八回起きた達磨さん

 投稿者:亜都子  投稿日:2019年 4月 5日(金)09時36分19秒
   「七転び八起き」のもじり。生きて、何回の挫折をあじわうか?七回ぐらいではおさまるはずがない。ので、もう起きるのはめんどうなので、横になってころがっていこうかな、と「ころがる石は苔をつけない?」などということわざが浮かぶ。
 このような人生の句ばかりで、このごろ自分の句がつまらない。
 昔の川柳大学誌を読んでいる。
 というか、ほかに読む気がしない。希林さんの本は読んだ。
 怪獣が帰ったので家が深閑としている。
 これはこれで静かな生活にもどったわけで楽。
 

折り合いをつけて変わらぬ花の色

 投稿者:亜都子  投稿日:2019年 3月21日(木)08時19分10秒
   植物を見ているとこの拙句のようなことをつくづくとおもう。地中では、根っ子の戦いがあるだろうけれど、地上に出れば、同種異種ともおたがいに共存し枯らすようなことはない。知らないうちに消えるものは消えている。オカトラノオ、キンポウゲ、野菊が繁茂する庭だけれど、勢力を広げる時に三つとも約三年ほどはしずかだった。ここが自分の場所だと決めればはじめて伸び伸びと子孫を増やす。(それだって、わたしが抜いてしまえば、みんな水の泡になる。と言って、わたしに報復するわけでもない)。
 つくしが食卓に出て、怪獣対策として、末締めの投稿は全部済ませた。
 昨日は雛人形の紐を編んだ。五組作る紐が約六時間ほどかかる。ピンクが無くなった。面倒だけれど、この紐も衿合わせと同じぐらい大事なのだ。川柳より、こちらのほうが感動させるようで、言葉の無力だし、いいかげんさだ。いくらでもどんなふうにでも言葉は紡げる。そんなに言葉の花は咲かせられるものではなく、年にひとつもあれば十分なのかもしれない。
 怪獣の食卓椅子の組み立てに一時間ほどかかった。
 

小雨、庭仕事、小休止

 投稿者:亜都子  投稿日:2019年 3月19日(火)07時11分19秒
   一姫がまた子供を連れて里帰りの予定。一月に帰省したばかりなので、やっぱりひとり子育てでばてているのだろう。まずステレオを手の届かないところに退避しなければならない。冷蔵庫も開けるようになったそうで、これは来てから百均グッズを姫子に聞いて買ってくるとして。つまり、用心するのはステレオだけなのだ。割れ物は前回より扉をロープで締められるようにしてある。
 怪獣対策はもう出来ている。今回はあたたかくなってきたので、プールデビューである。窓の外をボッーと見ていたり(「風」だ!)、道路の水たまりを足でバシャバシャするのが好きな、水に好奇心のある、つまり哲学的な赤ちゃんなので、どういう反応をするか楽しみである。普通に怖がるという予想だけけれどどうかな。末に村の神社の餅ほりがあるので、それに合わせての帰省。都会暮らしだと、こういう行事は垂涎の的なんだろう。先日も尾鷲の「ぶり祭り」に行ったと言うとうらやましがることしきり。無料の天然ぶりが何回並んでも注意されることもなくいただけたわけで、この気分はディズニーランドでは味わえない。百円のゼンザイはすぐ売り切れ。来年はもうすこし早く家を出たほうがいいなとおもう。
 菜園がいよいよできあがってきた。夕方はフラフラだけれど、午後七時に寝て起きればまだ快復している。
 今日は、お雛さま作り第二回。
 今年は売り物にしないけれど、来年は内職にしようかなとおもう。一部でたいへん好評。特に、川柳関係者。やっぱり感受性がするどいのだ。句集などが返礼で、もう文芸は新子先生が亡くなってから風前のともしびだけれど、また一歩だけは先が見えた。
 

坂の毬還らぬものはうつくしき

 投稿者:亜都子  投稿日:2019年 3月15日(金)07時32分18秒
   下記訂正。天国から「破門!」の声が聞こえる。すみません。  

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